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障害者がストーリィの題材になるような世の中でなくなればいいと思ってる。
障害者なんて単語がなくなればいいと思ってる。
今の障害者が障害を感じずに暮らせる社会であり、それを含めいろんな人がいて、精神的に肉体的に産まれ育ちに…色んな障害があって、生きていくのに一所懸命であること。
それが「普通」を名乗る条件でいいじゃないか。
障害者なんて単語がなくなればいいと思ってる。
今の障害者が障害を感じずに暮らせる社会であり、それを含めいろんな人がいて、精神的に肉体的に産まれ育ちに…色んな障害があって、生きていくのに一所懸命であること。
それが「普通」を名乗る条件でいいじゃないか。
私がよく言われるワードに、
「私は偉い、あんたは楽してる」
「多数が耐えられる事が、あなたが耐えられない、そんな事はない。甘えだ、逃げだ、ずるい」
というものがある。
それは「人間は全て健常である」という狭い見方から来る言葉ではなかろうか。
「私は偉い、あんたは楽してる」
「多数が耐えられる事が、あなたが耐えられない、そんな事はない。甘えだ、逃げだ、ずるい」
というものがある。
それは「人間は全て健常である」という狭い見方から来る言葉ではなかろうか。
障害者がスポットを浴びるのは、きっといわゆる「普通」の人々より一所懸命な人が多いから。
自分に向き合って、限界まで追い詰められて、時には落っこちて。でも這い上がって、自分の範囲の「普通」に登っていく。
それは特別な事じゃない。でも普通に近い人のストーリィは既に語りつくさているのかもしれない。
自分に向き合って、限界まで追い詰められて、時には落っこちて。でも這い上がって、自分の範囲の「普通」に登っていく。
それは特別な事じゃない。でも普通に近い人のストーリィは既に語りつくさているのかもしれない。
暴論かもしれない。
周囲に違和感を感じずに育った「普通の人」ほど「普通」を考える事がなく、「普通」に対していい加減だと思う。
「普通」に含まれるたくさんの定義を考えずに「普通」ができる人ばかりではない。
…もちろん考えずに「普通」ができる人はできる人で素晴らしいセンサーーと感性と適応力を持っていると思う。
周囲に違和感を感じずに育った「普通の人」ほど「普通」を考える事がなく、「普通」に対していい加減だと思う。
「普通」に含まれるたくさんの定義を考えずに「普通」ができる人ばかりではない。
…もちろん考えずに「普通」ができる人はできる人で素晴らしいセンサーーと感性と適応力を持っていると思う。
そこで。
例えば、朝目が覚めて、トイレに行って、顔を洗って、朝ごはんを食べる。
私は調子のいい日はここまでだいたい30分くらいだ。
この30分でいくつ感動できたか?
例えば、朝目が覚めて、トイレに行って、顔を洗って、朝ごはんを食べる。
私は調子のいい日はここまでだいたい30分くらいだ。
この30分でいくつ感動できたか?
朝目が覚めるのは決して普通ではない。鬱真っ盛りの時は昼夜逆転していた。朝ほど憂鬱な事はなかった。
トイレまで歩けるのは普通ではない。骨折していた頃は松葉杖や車いすを使っていたし、絶対安静で起きれない時もあった。
ドアが開けられるのも。用が足せるのも。ごはんを認識できるのも。箸が持てる事も。
できない人々がいる。
当然の事ではない当然の事。
その有難さを思い出させてくれる存在として障害者という立場の者が一時的にいるのだろう。
人間は忘れる生き物だから。忘れないと生きていけない生き物だから。
トイレまで歩けるのは普通ではない。骨折していた頃は松葉杖や車いすを使っていたし、絶対安静で起きれない時もあった。
ドアが開けられるのも。用が足せるのも。ごはんを認識できるのも。箸が持てる事も。
できない人々がいる。
当然の事ではない当然の事。
その有難さを思い出させてくれる存在として障害者という立場の者が一時的にいるのだろう。
人間は忘れる生き物だから。忘れないと生きていけない生き物だから。
全ての人がよくある当然を有難いと感じ、他人はすべて自分の知らない所で努力しているのだと認識し、できない事を助けてもらったら「ありがとう」と言う。
そんな世界はまだ遠いと思っている。
だからこのブログでは障碍だの障がいだのという表現を使わずに障害と表現している。
障害があることで私たちは困っている。
障害という単語が使われなくなる世界を祈る。
そんな世界はまだ遠いと思っている。
だからこのブログでは障碍だの障がいだのという表現を使わずに障害と表現している。
障害があることで私たちは困っている。
障害という単語が使われなくなる世界を祈る。
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