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PDD(ASD+ADHD)、難聴、思考メモ。リアル知人の方は見て見ぬ振りして下さい。
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聴覚障害者について続き。
サンプルが少ないのでアレなんだが、45歳から下の聴覚障害の方は、筆談、チャットでは流暢な日本語を使う事ができる人が多いと思う。
デフファミリーで育った人は特に幼少期から本をガンガン読んでいるので、筆談の定型文が多い。中には筆談で討論できる強者もいる。
でも、音声での会話となると人それぞれで、あいさつ程度の会話ができる人、発語ができる人、発声で精いっぱいの人、無音の人それぞれである。
そんな方と自分がオーバーラップする時がある。
私は音声で会話するのがとても苦手だ。
友達以外の人としゃべるときは、場面ごとに定型文リストがあり、そこにない会話を要求されるとしどろもどろになる。
声が苦手な音域の人や、滑舌が悪い人の言葉を聞き取るのが難しい。
加えて表情を読み取るのを優先した結果、だいたい人相を覚えていない。
応用がダメなヤツなのだ。
(友達は私が話を飛ばそうがなんだろうが流したり拾ってくれる特異な人だと思う)
定型文をしゃべっている時はまあまあ普通に見えるみたいなので、自分も周りも困る。
同様に読唇術に長けた人というのも、人の話を聞いて、定型文を発するまでは難なくできる人が多いのではないだろうか。
そんな方とよくあるろう高齢者のイメージが違うのは当然である。
手話というのは音声を使わないかわりに「表情」「身振り」「手話の型」「手話の文法」を使う非常に高度な言語で、私は諦めモードの言葉だ。
地方色が強く、関西でしか使われない手話、**市でしか使われない手話、日本共通の手話、また日本語対応手話というものもある。
日本手話が優勢なようだが、助詞をつける日本語対応手話は学問をする上で有効だと考える。
そのほかにも各国の手話、国際手話がある。
(会話はできなけど、手話の指文字や指数字は便利だと思うんだなぁ。聞き間違えないもの。)
手話の話をちょっと切り上げてー。
「聴覚障害者はこう」「車いすはこう」「視覚障害はこう」
そういうイメージもおおかたの人が持つ定型文の一つだと考える。
合わせ技やグラデーションが来ると耐えられなくなって、おおかたの人のいる所に帰る。
おおかたの人を責めるつもりはない。おおかたの人が普通を感知して普通の中で生きていくのも、並大抵の事ではない。
自分がおおかたの人々で、突然自分の状態になったら、まあ正気ではないでしょう。
この問題を解決する策は貧乏脳の私にはない。誰か教えてくださらんか・・・
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聴覚障害者ということを考える。
私の知っている聴覚障害者の人々は
高齢者では
・ろうの人で手話は少しだけ、未就学
・ろうの人で手話を話し就学経験がある
また45歳前後の人は
・ろうで手話を話し高卒後、就職
・ろうで手話を話し高卒だが、求職活動中
・難聴、主婦
そこから下はぐぐっと開いている。
25~40の働き盛りの人々とは現実にかかわった事がない。
私の中の「聴覚障害者」のイメージはほぼ「就学経験のあるろう高齢者」だ。
彼らの多くは穏やかで、戦後ろうあ協会の活動に尽力した人々。
聞こえなくても空気を読む術に長けている場合が多い。
この人々のイメージを多くの人が持っている事と思う。
働き盛りの人々は、人工内耳装用、難聴、ろう、様々だろう。あるいは組み合わせか。
ちょっとろう高齢者の人々とは違うイメージになる。
難聴でも人工内耳でも音楽を楽しむ人もいるし、音声会話が可能な人もいる。
読唇で会話ができる人、発語ができる人、発声のみの人。
手話、筆談のみの人もいる。
現在働き盛りの人々では、ろうか人工内耳か難聴で、読唇して会話・発語ができる人が多いのではないだろうか。
性格も多様で、穏やかな人だけでなく激しい感情の起伏がある人もいる。
その働き盛りの人々に、「聴覚障害者のイメージ」を押し付けているのではないだろうか。
表向きには聴覚障害者としていても、後々別の障害が出てくる場合もある。
そういう時はやはり落ち込むと思うし、気分を立て直すのも容易ではない。
悲劇はひっくり返せば喜劇。喜劇はひっくり返せば悲劇。
そんな世の中になればいいと思っている。