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PDD(ASD+ADHD)、難聴、思考メモ。リアル知人の方は見て見ぬ振りして下さい。
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聴覚障害者ということを考える。
私の知っている聴覚障害者の人々は
高齢者では
・ろうの人で手話は少しだけ、未就学
・ろうの人で手話を話し就学経験がある
また45歳前後の人は
・ろうで手話を話し高卒後、就職
・ろうで手話を話し高卒だが、求職活動中
・難聴、主婦
そこから下はぐぐっと開いている。
25~40の働き盛りの人々とは現実にかかわった事がない。
私の中の「聴覚障害者」のイメージはほぼ「就学経験のあるろう高齢者」だ。
彼らの多くは穏やかで、戦後ろうあ協会の活動に尽力した人々。
聞こえなくても空気を読む術に長けている場合が多い。
この人々のイメージを多くの人が持っている事と思う。
働き盛りの人々は、人工内耳装用、難聴、ろう、様々だろう。あるいは組み合わせか。
ちょっとろう高齢者の人々とは違うイメージになる。
難聴でも人工内耳でも音楽を楽しむ人もいるし、音声会話が可能な人もいる。
読唇で会話ができる人、発語ができる人、発声のみの人。
手話、筆談のみの人もいる。
現在働き盛りの人々では、ろうか人工内耳か難聴で、読唇して会話・発語ができる人が多いのではないだろうか。
性格も多様で、穏やかな人だけでなく激しい感情の起伏がある人もいる。
その働き盛りの人々に、「聴覚障害者のイメージ」を押し付けているのではないだろうか。
表向きには聴覚障害者としていても、後々別の障害が出てくる場合もある。
そういう時はやはり落ち込むと思うし、気分を立て直すのも容易ではない。
悲劇はひっくり返せば喜劇。喜劇はひっくり返せば悲劇。
そんな世の中になればいいと思っている。
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